式内 霧嶋神社
Contents
概 要
社号 式内社 日向国諸縣郡 霧嶋神社
読み: きりしま
所在地 鹿児島県霧島市霧島田口2608-58
旧地名 日向国諸縣郡
御祭神
主祭神 天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(あめにきしくににきしあまつひこひこほのににぎのみこと)
相殿神
木花咲耶姫尊 彦火火出見尊 豊玉姫尊
鸕鷀草茸不合尊 玉依姫尊 神倭磐余彦尊
例祭日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
日向国:4座 並小
諸縣郡[ムラカタ]:1座小
式内社
近代社格制度 官幣大社
社格制度廃止後
創建
本殿様式
境内摂末社(祭神)
文化財
国指定重要文化財
一口メモ
日高町商工会青年部35周年記念事業下見の一環として参拝した。鹿児島・宮崎の県境にある。
日豊本線・霧島神宮駅の北東6Kmほどの霧島田口に鎮座。
60号線を進むと、223号線と突き当たる辺りに大きな鳥居が建っている。
霧島観光の拠点にあり、周囲には観光案内所もあって迷うことはない。
歴史・由緒等
御由緒
霧島神宮は天照大神より「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たる可(べ)き地(くに)なり宜しく爾皇孫就(いますしめみまゆ)きて治(しら)せ行(さき)くませ。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さえ)えまさむこと当(まさ)に天壌(あめつち)と窮無(きわまりな)かるべし」との御神勅を戴いて、三種の神器と稲穂を奉持して高千穂峰に天降りまして天壌無窮の皇基を建てられた日本の肇国の祖神 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を主祭神として奉斎しています。また、相殿に別項の通り六柱の皇霊を配祀しております。
霊峰高千穂峰
日本で最古の書物である『古事記』および『日本書紀』に、瓊瓊杵尊が「筑紫日向の高千穂の久士流多気に天降ります」「日向の襲の高千穂に天降ります」と記されている霊峰が霧島神宮の背後に天聳(そび)え立つ高千穂峰です。頂上には“天の逆鉾”があり、山容の崇高秀麗なことは筆紙に尽くすことはできません。
高千穂峰一円は古えの日向の国の内であり、記・紀に記載されている日向国はその後和銅年間、四郡を割いて大隅国が置かれました。
社殿の創建
霧島神宮は遠い神代の古えより、縁りある霊峰高千穂峰に鎮座すると伝えられており、延喜式にも日向国諸県郡霧島神社と記されています。旧記によると、本宮はもと高千穂峰と御鉢「噴火口」
との中間、背門丘に奉斎されていましたが、御山の噴火のためにことごとく炎上し、村上天皇の天暦年間(950)天台宗の僧である性空上人が高千穂河原に再興奉還しました。また、文暦元年(1234)の大噴火により、社殿、僧坊寺が災禍に遭っております。その後、真言宗の僧 兼慶上人が藩主 島津忠晶公の命を受けて、土御門天皇の文明16年(1484)に社殿等を再興しておられます。
現在のご社殿は、そののち、別当寺 華林寺からの失火により全焼の厄に遭われたのを、第21代藩主島津吉貴公の寄進により正徳5年(1715)に重建されたものです。
-『神社公式サイト』より-
境内・社叢
(当時の写真がないのが残念)
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